CITYRAT press PRESS特別企画『写真家は写真についての言葉について語らなくてはならない』
二人の若き写真家がメールでのやりとりを通じて写真について考え問い、少しづつ言語化していく──。
往復書簡第二弾、第二回『モノクロームとカラー』公開。

 

内倉真一郎さま

 返信ありがとう。
 とても興味深く読ませてもらいました。
 「肖像」や「人間図鑑」の成り立ち、写真家としての原点がストリートスナップであるということ、それからまず日常的なスナップを続ける中で見つかる小さな端緒を手掛かりにテーマが生まれてくるという過程。結果として現れる作品は大きく僕と異なるけれど、きっかけはとても似ているのだな、と改めて感じます。そこに内倉真一郎の眼の原点があるのだとも──。
 わかりづらくはあるかもしれないけど、僕も同じようにスナップする中で新しい興味の対象が生まれ、次第に次のテーマへとゆるやかに移行してゆく、都市を撮影し続けていても、その構成要素が違ってみえてくるというか、新しい視線になる。シティラットプレスから出した2タイトル「街区の壁の野晒しの、いずれ消えゆくグラフィティのような都市と光と静物のひどく短い歴史」、「都市のネズミの書く詩のように続いてゆく」これはもともと「都市とものども」*1というシリーズをもとに三部構成にする予定のうちふたつで、前者は静物と風景、後者は静物や風景を撮影してゆくなかで生まれたグラフィティやストリートの雑景への視線で構成されている。今後出すことになる第三部は、さらに誰の眼にも留まらぬ路傍の雑景や光景で作られるはずだ。そんな風に少しづつ視点が撮影を続けていくなかで、グラデーションのように少しづつ溶け合いながら変化していっている。

 質問にあったように、僕はこれまでにコンペティションやポートフォリオレビューなどに応募したことがない。理由としては単純なもので、さしたる主張があるのでもない。半分は、どうせ通りっこないという臍曲がりな性分、そしてもう半分は、俺はストリートフォトグラファーだぜ、というさらなる臍曲がり。駆けっこじゃないんだから、順位つけるもんじゃないぜ、っていうささやかな主張はあるけど。
 それから、カメラを握ったこともない、写真をわかったような顔して然もありなん、云々する評論家連中に何がわかるんだ、という若気の至りでもあったのかもしれない。勿論、経験や体験だけが物事を正当に評価できるとも思っていないし、評論、批評という仕事を尊敬してもいる。それでもどこかに、業界的権威を背負った一部の限られた人間が、写真の良し悪しを決定して、それに一般の人達だけならず、若い写真家までもが影響され、無意識のうちに従っているような風潮に、得も言われぬ生ぬるさを感じ、その居心地の悪さに馴染めなかっただけかもしれない。いずれにしても、僕は実際にこれまでそんなことを嘯いてきたし、どっかのロックンローラーみたいに、勲章あげるよっていわれたらへいこらするみたいのは、好みじゃないだけだった。
 でも、”有名といわれ応募人数も凄まじいコンペに果たして自分の作品はどう見られるのだろう? という観せる第二の場”という考えを読んだときに、そういう捉え方もあるんだと、すっきりと納得した。あくまで賞というのは二の次、作品を観せる環境と考えるのなら、それも悪くない、とても魅力的な舞台だ。僕はきっと貪欲に発表の場を探さなかっただけなのかもしれない。二十代の頃にその言葉を聞いていれば、もしかしたら僕も応募していたかもな。
 ただ、断っておきたいのは賞そのものは否定しないし、それを利用しながら活動することも同じように理解できるということ。だから、いま僕なんかは自分より年下の連中には、どんどん応募した方がいい、そうアドバイスすることにしてもいる。結局、ただの臍曲がりで通してきただけのこと。そんなところだ。

 さて続いて、なぜ作品はモノクロームなのかということだけど、これについても大した理由はない。
 いままで聞かれることが結構あったけど、その都度、その時々、思いついたことをもっともらしく言っていた気がする。いま改めて考えてみると、結局、選択肢がそれしかなかっただけというのが実際のところだ。僕が写真を始めた当時、デジタルカメラはなかったし、カラー機材は高価なものでとても自分で揃えられるものじゃなかった。
 僕は基本的に自分のやることの一切を他人任せにしたくなかったのだと思う。フィルム現像からプリントまで。それができるのは、唯一モノクロだったというだけだ。もちろん今までにカラーをやるチャンスはいくらもあった。だけどぼくはそれをしなかった。いまになって思うと僕が写真に求め続けたのは、少しへんな言い方になるけど、現実から異なる現実、人間社会の色眼鏡のない事物の本質を引き出したかったという事、それが結局はこれまでにモノクロに拘泥してきた理由だとはっきり言えそうだ。
 いま現在もモノクロでやる理由として、それに勝る主たるものは他にない気がしている。優れたフィクション、例えば文学などがあるいは僕らの世界の本質に訴えかけるように、モノクロという普段僕らの見るカラー世界ではない視線、異なるそれのほうが事物の本質を捉えるのではないか、浮き彫りにするのではないか、という考えがいまなお僕の根底にあるからだ。撮り続けるなかで、写真は光において成っているということを意識しだしてからは、それがなおはっきり感じられるのもまたモノクロだった。写真の科学的な拠り所、その根本原理を考える上で、カラーというのが僕にとってひどく曖昧で不安定な不穏分子と感じられたのもまた理由のひとつかもしれない。
 適当なことは言えないぞ、と書き進めていくうちにようやく自身で輪郭が鮮明になった気がする。はじめは経済的な理由からであったとしても、それはやり続けていく中でいつのまにか明確になっていき強固な意思的選択へと変わったのだろうとおもう。
 
 せっかくモノクロとカラーの話がでたので、同じことを聞いてみたいとおもう。
 先に書いた通り、僕はこれまでモノクロ一辺倒でやってきた。それはいまになって意思的な選択に変わった、とも書いた。
 内倉くんは「佳子」*3はカラー、「人間図鑑」や「BABY」はモノクロ、とシリーズごとにカラーとモノクロを使い分けているようだけど、そこに明確な意図や理由はあるのだろうか。全てをみたわけではないのではっきりとは言えないけど、これまでシリーズ内でカラーとモノクロを混在させてはいないようだ。
 それから、僕なんかは最近になってデジタルカメラを使いだしたけど、フィルムとは明確に使い分けてもいる。内倉くんも年代的にフィルムカメラから始めたはずだけど、デジタルへの移行に抵抗や葛藤はなかったのだろうか。それは暗室作業との別れでもあって、僕にとってはひどく重要な事柄なんだけど、、、。


2017年5月8日
横山隆平

 


無題 / 2017より

都市とものども / 2013より

横山隆平さま

 スナップしていく中で新しい方向に向かっていくこと、共通点がやっぱりあるんですね。確かにそこから現れる作品の違いはありますが、「都市とものども」が三部構成というのもよく分かりますし、個人的なファンとしても第三部がとても楽しみです。そのように考えていくと横山さんの初期発表作品「酔っぱらったピアノ弾きのようなやりかたでシャッターを押せ」*2は今の作品とまるで作風がガラリと違いますね。ここは後で触れたいと思うんですが、写真家としての原点となるものがあればお聞きしたいと思っています。
 横山さんがコンペを出さなかった理由も予想通りというか、改めて横山節というのでしょうか。その考えこそが写真家横山隆平とリンクして納得です。コンペも審査員によるところもあると思います。蓋を開けたらあまりにも写真を知らない審査員だと話になりませんし、僕はその辺もはよく考えながら今まで応募してきました。ただコンペは間違ったら恐ろしい方向に行くのですが、「受賞して満足」このような作家になったらもう写真家生命終わったようなものだと思います。あくまで写真家としての本質は他者に見せる=「個展」であると考えるからです。それは本番のライブのようでもあり、受賞作家であろうが、受賞していないであろうがライブではその冠は無意味で、あくまで写真家は展示が勝負だと思います。賞はその過程で出てくる一時的なボーナスみたいなものだと今になっては思っています。勿論、沢山の出会いやチャンスはありましたが、それは受賞して自ら行動した結果です。賞取って何もしないのは初めから何もしていないのと変わらないと思っています。
 
 モノクロームに関しては確かに当時、カラー暗室など作ろうとしたら莫大なお金がかかっていた時代ですね。それとは逆でモノクロ暗室はある程度お金はやはりかかりますが、自宅でも作れますし僕も18歳の頃から暗室をアパートでしていたんで分かります。横山さんが自分のことを他人任せにしたくなかったというのも、その時点からクリエーターとして既に出来上がっていらしたんですね。そうなれば81LAB.、CITYRAT press.の立ち上げの理由も聞かなくてもよく分かります。僕が横山さんに聞くまでもないけど何故モノクロなのかと聞いたのも、あの作風でカラーは想像が出来ないし想像する意味すらないと感じる程に、ことごとくモノクロームが必要としている作品だからです。それは横山さんの写真たちがモノクロを必要としているのではなく、モノクロが横山隆平を必要としている。お袈裟かもしれませんがそれほど、血の匂いを感じました。その血はカラーではなくドス黒いものであろうと。

 僕がシリーズごとにモノクロとカラーを使い分けている選択肢はシンプルです。モノクロームは普段肉眼で見る色彩を一切無にし想像させ創造していく効果がありますし、写真は光で出来ているので勿論、影ができますし、その中間にはグレーがあります。それらは選択された被写体に最も集中させる一つの手法です。その手法で「肖像」「人間図鑑」「BABY」をシンプルに見せています。一方カラー作品でいうと「佳子」ですが、このシリーズは人形なのか、人間なのか、もしくは初めから居ない存在なのか、ということがテーマとなっています。現実とも非現実ともつかぬ雰囲気をつくるために、その被写体の佳子を写真に創り出す仕組みは古典柄の着物と、濃い化粧、背景は無地のバックではなく、海、お花畑、犬小屋、公園、砂で出来た山など、様々な場所に突如として現れる異物となるような風景や状況を選び配置しました。また、このシリーズをよりリアルに表現するために、カメラ設定をポジに似た色彩にし、レタッチでビビットカラーにして非現実的なカラー補正を手法として利用することで「佳子」を出現させました。

 デジタルとフィルムですが2010年宮崎に戻り作品「人間図鑑」からデジタルを始めました。きっかけは作品「肖像」製作中のことでした。カメラはRZ67を使用しフィルムはネオパンアクロス、印画紙はイルフォードの光沢。暗室を丁寧に宮崎に持って帰って暗室作業をしてました。
 ある日、昔から尊敬するリチャードアベドンの写真集を改めて見た時に5メートル越えのポートレートが展示されている個展会場の様子を見たんです。「この大きさって凄い写真行為だよなー!」なんて単純に思いプリントしようと思ったんですが大全紙が暗室内で出来る限界のサイズでした。勿論、アベドンの5メートルのポートレートを見て全紙のポートレートを見ても、納得しないわけです。
 じゃあ、どうしたら巨大に近づけるのか? それはスキャニングでした。
 スキャニングしてフォトショップでレタッチをしロール紙でプリントを出したら「あ、もう暗室もフィルムも一切いらないや」と単純に思いました。つまり、フィルムやプリントをPCにスキャニングしてフォトショップでレタッチ補正をしてプリントを出すならもうそこでフィルムも、フィルムカメラも意味がないと思ったんです。

 それからは「人間図鑑」の制作に挑む時にカメラも、暗室機材もすべて売りもせず、捨てました。これで嫌でも自分にはデジタルしかない環境を作りました。その環境は暗室の時に味わっていた独特な世界観とはまた違う素敵な世界観がありました。タバコを堂々と吸いながら、コーヒーも飲み、好きな音楽を聴き、電気も明々としている。暗室の独特な異次元とも言っていい空間から超現実の世界に戻りフォトショップで作業をしていくんです。どちらもそうなんですが、デジタルの作業の場合も、ごまかしが効くようで実は一切効かないんです。やりすぎたレタッチは嘘になるし、基本的に撮った段階で絞りの重要さ、レタッチでの焼き込み等、紙の選択肢、現像液、停止液、定着液、バライタかRCペーパーなのか。それらと同じようにデジタルにもたくさんの選択要素がありますので、根本的なところの変化の違いをそこまでは感じずに自然に作品に取り入れています。もうフィルムに戻ることはストリートスナップを辞めたように、一切ないです。

 横山さんの作品には明確なコンセプトではなく、言葉にしようがない思想があると思うんです。そのコンセプシャルな部分がお聞きしたいです。また、写真の原点になった写真家と、原点といえる自身の作品は何でしょうか?


2017年5月14日
内倉真一郎

 


佳子 / 2013より
肖像 / 2010より

 

注釈
*1 「都市とものども」2012年発表。
*2 「酔っぱらったピアノ弾きのようなやりかたでシャッターを押せ」2006年 gumbuilding.,co.ltd発行。
*3 「佳子」幼女に古典柄の着物を着せ様々なシチュエーションで撮影したシリーズ。シティラットプレス発行。現在は絶版。

横山隆平

横山隆平 Ryuhei Yokoyama

写真家。1979年大阪府生まれ。
モノクロフィルムによる都市写真を中心に作品を展開。Photography Magazine 81LAB.、CITYRAT press立ち上げに参加。主な作品集に「TOKYO,UNTITLED.」、「酔っぱらったピアノ弾きのようなやりかたでシャッターを押せ」等がある。2016年ゲリラ展示プロジェクトPIS(ピス)をスタート。

オフィシャルサイト
http://www.gumbuilding.com/photograph/

内倉 真一郎 Shinichiro Uchikura

写真家。1981年宮崎県生まれ。
主な個展・受賞歴に2010年、2011年、2013年Canon写真新世紀佳作を三回受賞、2016年コニカミノルタフォトプレミオ受賞&個展開催、2008年Nikon Juna21受賞&個展開催、清里フォトアートミュージアムYP作品パーマネントコレクション合計19点等がある。2016年写真家 横山隆平とゲリラ展示プロジェクトPIS(ピス)をスタート。

オフィシャルサイト
https://www.uchikurashinichiro.com

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